好きな理由
地方公演っていいな。
FFCも大詰め、今週末は仙台宮城のようです。
いきなり寒くなったので防寒対策は…ってどうせこんな僻地ブログ誰もみてないからそんな挨拶はいらないですね。
またセトリは更新していきたいな。
先週…まだライブから一週間しかたってないとかすごい驚きなんだけど、実際的に僕が田村ゆかりのライブに行けた理由を考えてみると、近所の公演があったからとチケットが限りなく自分の理想に近い方法で購入できたからっていうのが大きい。
本来FCでも落選がある公演で(営利目的でない転売、当日券はあったものの)しかもアーティストを好きになった一ヶ月後にライブがあり、またわりと金銭的余裕がある時期だったというのもタイミングがよかった。
半年後とかならいづれ熱が冷めて行かなかったかもしれないし。
そしてそのベストタイミングに加えて、行こうという背中を推したのは田村ゆかりを好きかどうかを、ライブにいくことによって確認したかったというのが大きい。
結果的には、ライブに一度いくことでは何も解らなかったけど。
僕にはまだ田村ゆかりの存在がよくわからない。
僕の中での田村ゆかり、ゆかりんとは何か?という疑問はずっと残っているままなので、少し考えてみた。
そもそも僕はアニメを視聴するタイプの人間なので田村ゆかりについては知っていた。声が可愛いことも。17歳だと言っている事も。そのぐらいの予備知識で、田村ゆかりに入門してまず驚いたことは37歳だったという事実である。せいぜい水樹奈々くらいかなと思っていたのだ。
僕は20代後半で、丁度自分の容姿が陰りをみせていることを自覚しつつあり、辛く悲しい思いをしていた。
なので年齢が僕が田村ゆかりのファンになり得た、興味を惹かれた大部分なのは間違いない。
僕は田村ゆかりが年齢のわりに若くて、でも年齢はやっぱり超えられなくて、それでも開き直ったり治らなかったり鬱になったりしながらもプロとして頑張ったりしている姿に、共感や憧れを持ってしまったのだ。
そして応援することにより自分への救済になっている。
自分より10つくらい年上の人が、前線でアイドルみたいな活動をしてることは、アラサー女子の眉間には皺が寄るような事実なのかもしれないが、僕は単純なのでそのことが”凄いこと”に思えた。
それはほんとうに田村ゆかりを好きといえるのかわからないし、ゆかりんの望む好かれ方じゃないかもしれないし、もしかするととても悪質なファンなのかもしれない。だけど、僕のなかの田村ゆかりを応援する理由はこれなんじゃないかって。
だからライブ自体に参加しても”よくわからなかった”んだろう。
そーゆーことなんだろう。
田村ゆかりの良さは、儚さの中に垣間見える逞しさ。
多分みんな、違いはあれど田村ゆかりの”生き方”がすきなんじゃないかなぁ。
散文すぎたけどきょうはこれでおわりー。